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第3回展のお知らせ




こんにちは。

お元気でしょうか。

HYO_SO_は第3回展を開催致します。


今回はギャラリーマロニエで2018年に開催致しました2人展と似た構成も見て取れることでしょう。

延長可能なかたちの制作を考えさせられるいま、ここで、撤退ではない方法で表層を見つめたい。


2kw gallery

滋賀県大津市音羽台3−29−1

12:00-19:00 休廊:月,火,水


抱握/prehension

髙松威×山田真也 ニ人展

2022/02/03(木)-02/20(日)

 

 2011年に福島原発事故があり、町のためのアートプロジェクトが波及した。だが、10 年後の 2021 年にパンデミックが訪れたこで、 プロジェクトは影を潜めた。災害は暴走を拡張しながら、日々ゆらゆらと明滅と抱握(1)を繰り返す。芸術の焦点は人新世におけるartへの批判に並行して、プロトタイプ的な"方法"の可塑性/心の可搬性の限界へと没入していく気分が、顔を覆っていくように感じた。

 環境が起因する枠組みという意味では、彫刻/工芸という近いようで隔たりがある学科の差は、山田/高松の思惟、判断に大きく作用してきた。 その違いは方法と展示(≒実材)の関わり合いにおいて強く現れる。抱握過程に揺れ動く延長可能なかたちの制作を試みる。(2022/1/25)

 

(1)キーワードにも選んだ「抱握」(prehension)とは、ホワイトヘッドの著書『過程と実在』に登場する概念であり、事物同士 の関わり合いにおいて知覚の外側で蠢く プロセスの重要さを示している。存在に距離をつくったことで昨今、様々な分野 に影響を強める「思弁的実在論」でも活躍する。

 

高松威

鉄は、いま、ここに適応していく。

鉄の平板を作品として加工し、有機的な線や表情を与える。

それは身体に依る加工と、鉄が加工に抵抗する力の衝突で表れる。一度変形した鉄のかたちは戻らず、腐食され錆び落ち、地に戻るまで残り続ける。

表面の肌理は、作り上げたとしても、鉄自体の化学的な現象に負けて消滅していく。

作品としてなにが残ったのか、完全に地に還っていく前に。

 

 2020-21 高松威個展 gekilin./大阪

2021 下町芸術祭 神戸市長田区/兵庫

2022 大阪芸術大学大学院工芸修士 修了予定

鉄の表面現象を用いた立体造形を展開する。愛着、律動、野性、弱さなどを手掛かりに汲み尽くせない「素材/素材感(観)」を試行する。

 

山田真也

眼球は、湖に似ている。眼球を水平団すると、網膜は湖の水面となり、底にあたるのが中心窩である。網膜とは多面的に乱反射する光を織りまとめる層と圏のことだ。底である中心窩は"孔"でありながら壁/茎となってゼリー状である硝子体の海を抱握 prehensionしている。眼球内(湖)を往復する光/射の大半は雑多なものにぶつかり砕け、遅延と渋滞を繰り返す。そんな風に、湖の網膜 が泡立ち機能しないとき、光は粒子となって孔に吸い込まれ、明るく濁る。私が買った五千円の映写機が放つ光はそんな感じだ。

 

2020 大阪芸術大学彫刻コース卒業

2018 高松威・山田真也二人展 ギャラリーマロニエ

2021 KYOTOGRAPHIE KG+ ホテルアンテルーム京都

 

 在学中は文化財センターで働くと共に、彫刻を通じて肉、中心、埃、玩具、ニュータウン、復元、編集への関心があり、制作に映写機や印刷を用いた。

大学卒業後、劇作家の岸井大輔が企画する上演論や、京都の浄土複合で、戯曲、批評・編集等を学ぶ。坂口安吾や新国誠一の〈具体詩〉に惹かれ、「言語‐箱‐飼育‐乾燥」といった連想、意味の転がり、遊技を設定する事で、自律した物やとりまく環境への揺さぶりを試みる。

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物質の表層、現象の表層、感情の表層。 表層という場は普遍的に存在します。 こちら側とあちら側の狭間にある、お互いの表層は言葉を持てません。 確かにそこにあるものを不確かに感じる私たちは表層を漂います。 狭間を行き来し誤訳をはらむ表現集団として。 高松 威 山田 真也 つらぬき 下地 ひとみ ハヤシアカネ